名前の恣意性に捉われると本質を見失う
名前というのは、大なり小なり某かの意図を持って付けられる。
プログラミングなんぞをやってると、普通の人々の何千倍も命名の機会が与えられるんだが、ゆえに名前には非常にデリケートになる。たった一回の命名ミスが、最後の最後の最後の最後まで延々と問題になる場合が多々あるからだ。
だから多くの責任感のあるプログラマは、たいていの場合は自分なりの「命名規則」を持っている。

「鳥頭」は馬鹿じゃない! | Excite エキサイト

「名称は我々の実験や考え方に多大なる影響力を持つと確信する」
専門用語を変更するのは重要なことだと言う。なぜならそれは科学者にとってさえも混乱をきたすものだからだ。
「その多くは動物の進化における人間の優位を保証しようとしています。進化は樹木系であるというダーウィンの論に従ってはいません」
「彼らは進化を宗教に結びつけようとしていたのです。神がひとつの生物を創造し、その出来がよくなかったので、さらに別の生物を創造し、また出来がよくなかったので次の生物を創造し、そして人間が生まれた……完璧だ。という一直線のシステムです」
「それは美しい話ですが、真実ではありません」


ここで問題視されているのは、鳥の脳について使われている用語が、現在に至っても一本道の進化を前提とした言葉である、ということ。最初にその言葉を付けた人間の思考だけでなく、信仰をも包含している、ということ。つまり、偏向があるということ。
それに何の問題があるのかと思うのなら、「鳥頭」という言葉からあなたがどんなことを思い浮かべるのか、じっくり考えてみればいい。
「人々は私に鳥の脳は原始的なのにどうやって複雑な行動をできるのかと聞いてきます」

言葉は物事を理解するのに有効だが、理解を阻害するのにも大変に有効である。
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by dummyxj-si | 2005-02-02 17:48 | ニュースに的外れ


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